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京都・下鴨の地で、1955年に創業したバイカル。
生クリームやフレッシュバターを使ったお菓子がまだ一般的でなかった時代から、お祝いのお菓子や、自分へのご褒美、また、手土産品など、世代を超えてお客様の至福の瞬間に寄り添うお菓子を作り続けております。
バイカルは、「地域の皆様に喜んでいただけるお店」をコンセプトに、住宅地を中心にお店を構えております。
生ケーキ類はもちろん、クッキー・バームクーヘンなど、ちょっとしたお土産に最適な商品を多数ご用意しております。
京都駅すぐの立地は大変便利です。
是非一度お店にお立ち寄りください。
●バイカルは、厳選した素材を生かした安全でおいしいお菓子を通じて、お客様に豊かで幸福な時間をお届けいたします。
● バイカルは、製法の手間暇を惜しまず、常に鍛錬と挑戦を重ね、お菓子へのこだわりや想いを守り、そして培ってまいります。
●バイカルは、永く愛されるお菓子を丹精込めてお作りし、地域のお客様とともに歩む洋菓子店でありたいと考えます。
はじまり
戦前、バイカル初代社長・川勝三郎の父は食料品店を営んでおりましたが、戦争ですべてが台無しになりました。復興が始まる中、「このまま食料品店を再開していいのか」と悩みます。
変革の時代、日本が復興していく様子にこれからの欧米化の波を感じ、「これからは食も欧米化しなければ!」と考え、フランス菓子店を開くことを決意します。
旅立ち
当時、バイカル本店の近くには、京都で一番美味しく、一番人気があり、一番多くの職人を雇っている「最高のフランス菓子店」がありました。このままでは勝ち目はない…。
ですが、絶望の中で、あることに気づきます。「あの店が使っているクリームは、本場フランスのものじゃない!フランスで修行した職人だっていないじゃないか…」勝機を見つけ、すぐに息子にフランス行きを命じます。この息子こそ、後にバイカルを創業する「川勝三郎」です。
苦闘
「本場フランスに行けば、フランス菓子を学ぶことができる」と思いきや、現実はそんなに甘くはありませんでした。現在とは違い、海外旅行すら高嶺の花であった時代、フランスの洋菓子店が見ず知らずの日本人を受け入れることはまずありませんでした。
「本場のフランスで修業するまで、日本には帰れない。」その想いだけでフランスにしがみついた三郎は、やっとの思いでひとつの店に辿り着きます。とはいえ、働き始めたからといって、状況が一気に好転するわけではありません。任される仕事は、毎日雑用ばかり。クリームの作り方ひとつ、教わることができません。さすがにこの状況に焦り始めた三郎でしたが、ここで運命の出会いを果たすことになります。
バイカル誕生
焦る三郎の前に現れたのは、一人の兄弟子でした。兄弟子は、三郎がフランスに渡ってから、初めて仕事を教えてくれた人でした。教わったのは、メレンゲの作り方やクリームの作り方など。「基礎ではあるが、非常に奥深いもの」を丁寧に惜しげもなく教えてくれました。「なんでこんなに優しくしてくれるのだろう?」不思議に思いながらも修行を続ける三郎。やがて月日が過ぎ、三郎の帰国が決まります。そのとき、兄弟子の想いに気づくことになります。「三郎、俺も実は純粋なフランス人じゃない。故郷はロシアなんだ。」その言葉を聞いて、三郎は悟ります。「フランス人に相手にされない寂しさを知っているから、優しくしてくれたのだ。」感謝で胸がいっぱいの三郎は決心します。兄弟子との会話によく出てきた彼の故郷にある世界最古の湖・バイカル湖からとって、自分の店は「バイカル」という名前にしようと。お世話になった兄弟子への三郎なりの恩返しでした。こうして、1955年、京都にバイカルが誕生することとなります。